『誰のための組合なのか――出席を拒まれた一言から見えた現実』

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明日の予定だった組合の会社との話し合いについて、「あなたは出られる立場ではないので」と告げられた。確かに、今回は三役の方々による話し合いであるという説明には一理ある。形式や慣例を重んじるという意味では、もっともだと言えるのかもしれない。

しかし、だからといって、現場の声や疑問が切り捨てられてよい理由にはならない。特に今回の給料改定に関しては、私が投げかけた質問をきっかけに、会社側の杜撰とも言えるやり方が浮き彫りになったのではないだろうか。後から「修正した」とは言うものの、その説明や態度に、どれほどの信頼が置けるのか、正直なところ疑問は残る。

そもそも、給料というのは生活に直結する最重要事項だ。そこで不透明さや場当たり的な対応が見えるなら、組合は真っ先にそれを正し、組合員の不安を代弁すべき存在のはずである。にもかかわらず、どこまで行っても「金を出したくない組織」の論理に寄り添っているように見えるとしたら、それは本来の役割から逸脱していると言わざるを得ない。

組合は、会社と対等に向き合うために存在している。決して、会社の都合を組合員に飲み込ませるための緩衝材ではない。今回の一連のやり取りを通じて、私は「この組合は一体どちらを向いているのか?」という根本的な疑問を抱いた。会社なのか、それとも組合員なのか。その姿勢を、今こそはっきりさせる必要があるのではないか。

また、今回の選挙についても、正直なところ、私は落ちる可能性が高いと感じている。だが、当落そのものよりも重要なのは、その過程で何が語られ、何が隠され、誰の声が拾われたのかという点だ。たとえ私が選ばれなかったとしても、疑問や違和感を口にした事実まで消えるわけではない。

だからこそ、次回の執行部の集まりでは、白黒をはっきりさせたいと思っている。曖昧な説明や、その場しのぎの言葉で済まされるのではなく、組合としての立ち位置、覚悟、そして責任を明確にしてほしい。組合員が安心して働ける環境を守るために、何を優先し、何と闘うのか。その答えを示す場にしなければならない。

声を上げることは、時に疎まれ、時に面倒がられる。しかし、沈黙が続けば、それが「同意」として扱われてしまうのもまた事実だ。だから私は、これからも問い続ける。誰のための組合なのかを。

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