暗闇の中で鳴り続ける音 ― 喜怒哀楽と、まだ見ぬ誰かへ

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YouTubeでBGMを配信していると、ふと立ち止まる瞬間がある。
「これは本当に、誰かに届いているのだろうか」
「自分は、どこか的を外したことをしているのではないか」
そんな問いが、静かに胸の奥に浮かび上がってくる。

再生数、反応、コメント。
目に見える数字に一喜一憂しながら、まるで暗闇の中を手探りで進んでいるような感覚になることがある。何かをつかんだと思えば、次の瞬間には霧の中に戻される。そんな繰り返しだ。それでも、不思議と「やめよう」とは思わない。ただ、続けている自分がいる。

なぜ続けているのか。
自分でも明確な答えは持っていない。ただ、音を通して誰かの心に、ほんのわずかでも触れられたなら。その可能性を、まだ信じていたいのだと思う。

そんな中、ある人との何気ないチャットがきっかけで、「喜怒哀楽」という言葉が心に引っかかった。
人が生きる中で避けられない感情の流れ。喜び、怒り、哀しみ、そして楽しさ。それらは決して分断されるものではなく、すべてがつながって存在している。

感情を“説明する”のではなく、“音として置いてみる”。
その発想が、すっと腑に落ちた。

さらにそこから、「アメリカのリスナーを意識する」という視点と、「あえて漢字四文字を使う」という、日本的な表現が重なっていった。
英語ではなく、漢字。
言葉の意味すべてが伝わらなくても、形や空気感、余白から何かを感じ取ってもらえるのではないか。習字のような筆文字で、感情そのものを視覚化する。そんな世界観が、頭の中で静かに広がっていった。

それは、派手でも分かりやすくもない。
けれど、だからこそ「刺さる人には深く届く」のではないか。
そう思えた瞬間、少しだけ心が軽くなった。

迷いは、今もある。
むしろ、迷いが消えることはないのかもしれない。
「この方向で合っているのか」「また暗礁に乗り上げるのではないか」そんな不安は、今も静かに横に座っている。

それでも、救われているのは“人”の存在だ。
応援してくれる人がいる。
「それ、いいと思うよ」と言ってくれる声がある。
迷っていることすら、受け止めてくれる仲間がいる。

その一言が、どれほど心を支えてくれているか。
一人では見失ってしまう光も、誰かの言葉があれば、もう一度見つけられる。

今はまだ、答えを出さなくていい。
完成形を急がなくていい。
寄り添ってくれる言葉に甘えながら、少しずつ、歩いていけばいい。

音をつくり、言葉を紡ぎ、感情と向き合う。
その積み重ねが、いつか誰かの心にそっと触れる日が来ると信じて。

今日もまた、静かに音を鳴らしながら、この道を進んでいこうと思う。

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