朝の静けさと新しい音の模索

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— 自然と調和する音づくりを求めて —

昨晩の雨がようやく止み、まだ日は昇らぬ早朝。
外はしっとりとした静けさに包まれていました。
窓を開けると、ひんやりとした空気が部屋に流れ込み、深く息を吸い込むと、肺の奥まで清らかな空気が届くのがわかります。
雨がすべてを洗い流し、空気に残っていた埃や喧騒までも浄化されたような感覚。そんな朝は、心までもリセットされ、まるで新しい自分として一日を始められる気がします。

こうした静かな時間に欠かせないのが、心を整えるBGMです。
ここ数ヶ月、私は「sunoAI」というAI音楽生成ツールを使って、自分なりのBGMづくりを続けてきました。AIの力を借りて、テーマを設定し、気分やジャンルを入力するだけで、驚くほど完成度の高い音楽が生まれる。その手軽さと表現力に魅了され、気づけば毎朝のように音を試作するのが日課になっていました。

しかし、3ヶ月ほど経った頃、ふとした違和感を覚えました。
AIが生み出す音は美しく、完成度も高い。けれど、どこか「伝えたいこと」が強すぎるように感じたのです。音がこちらに何かを訴えかけてくる。まるで、AI自身が主張しているような印象さえ受けました。
もちろん、それが悪いわけではありません。ただ、自分が朝に求めているのは「主張」ではなく「寄り添い」でした。自然と溶け合うような、心に余白を与えてくれる音。そんな音をもう一度探したいと思うようになったのです。

音楽とは、感情の延長線上にあるものだと私は思っています。
どんなに技術が進化しても、そこに「人の気配」や「感情の余韻」がなければ、心に届く音にはならない。AIの助けを借りることは悪いことではありませんが、すべてをAI任せにしてしまうと、自分の感性が薄れていくような気がしました。
そんな気づきから、私は少しずつ音作りの方向性を見直すことにしました。テーマは、「自然と調和する音」。AIを使いつつも、最後の仕上げは自分の耳と心で整える。そんなハイブリッドなアプローチを試し始めたのです。

朝のルーティンも少しずつ変わっていきました。
お気に入りの豆を丁寧に挽き、少し深めに淹れたコーヒーを片手に、窓際の椅子に腰掛ける。
その香ばしい香りが部屋に広がるころ、ギターの音色を中心にしたインストゥルメンタルを流す。
指先が弦に触れる瞬間の微かな振動、音が空気に溶けていく感覚。
それらが、朝の空気と見事に調和していくのです。

AIで作られた音は、時に完璧すぎます。
ノイズもブレもない、美しく整った響き。
でも、自然界に「完璧」な音は存在しません。
風の音も、鳥の声も、木々のざわめきも、どれも微妙に不揃いで、そこに“生きた揺らぎ”があります。
その不完全さこそが、私たちの心を癒やしてくれるのではないでしょうか。

AIギターの音色も悪くはありません。
むしろ、人間の演奏では難しいような繊細な表現もできます。
けれど、最終的に“響き”を決めるのは人間の感性。
「ここで少し静けさを残したい」「この音はもう少し軽くしたい」
そんな小さな調整を、自分の手で行うことが、音楽に“自分らしさ”を吹き込む作業だと感じています。

BGMを作ることは、単に音を並べることではなく、心を映す行為です。
朝の気温、光の加減、気持ちの揺れ——それらを感じ取りながら音を選び、組み合わせていく。
そうしてできあがった音楽は、どんなにAIが進化しても、やはり“その日の自分”でしか作れない唯一の作品になります。

最近では、AIの力を借りつつも、最終的には自分の感覚で仕上げるという方法が、私にとっての理想的なバランスになってきました。AIは「補助輪」ではなく「共演者」。技術に頼るのではなく、技術と共に歩む。そんな姿勢が、これからの音づくりの鍵になると感じています。

そして何より、朝の時間を大切にすること。
コーヒーを淹れ、音を聴き、心を整える。その積み重ねが、創造のエネルギーを育ててくれます。
AIがどれほど進化しても、心の深い部分までは模倣できません。
だからこそ、自分の感性を信じ、自分だけの「音の朝」を紡いでいきたいと思います。


音楽も、コーヒーも、そして朝の時間も。
“完璧”ではなく“自然”であることに、心が安らぐのかもしれません。
AIと共に歩みながらも、自分の手で創ることの意味を、これからも大切にしていきたいと思います。

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