今週は、正直なところ、体にかなり負担のかかる仕事だった。
運行自体は順調で、大きなトラブルもなく、無事故・無違反で終えられた。それだけで仕事としては十分合格点だと思っている。荷物を無事に届け、車を傷つけず、周囲にも迷惑をかけない。それが何より大事なことだ。
ただ、体は正直だった。
膝と脹脛が、まるで「もう限界だ」と訴えてくるように痛む。昔なら一晩寝れば回復していたはずなのに、最近はそう簡単にはいかない。年齢のせいなのか、それとも日々の積み重ねなのか。どちらにしても、無理が効かなくなってきているのは事実だ。
帰宅後、湯船に浸かりながら、脹脛をゆっくり揉む。
血行が良くなれ、少しでも楽になれと、半ば御呪いのような気持ちで手を動かす。湿布やストレッチも大切だが、こうして自分の体と向き合う時間そのものが、今の自分には必要なのだと感じる。若い頃は気にも留めなかった「体の声」を、今は無視できなくなった。
そんな少し疲れた心と体の中で、ふっと気持ちが和らぐ出来事があった。
先日のクリスマス会で出会った方から届いたDMだ。
文章なのに、不思議な感覚だった。
文字を追っているはずなのに、まるで目の前で会話しているような距離感。声のトーンや間合いまで想像できるような、そんな温度のある文章だった。読んでいるうちに、自然と表情が緩み、気づけば笑顔になっていた。
メールやDMというのは、どうしても事務的になりがちだ。
要件だけが並び、感情は行間に隠れる。けれど、その方のメッセージには、言葉の選び方やリズムに「人」がいた。ただ情報を伝えるのではなく、「話しかけてくれている」感じがあった。
相談を受けるという行為自体も、もちろん嬉しい。
誰かに頼られるというのは、年齢を重ねるほどに、ありがたみを増すものだと思う。若い頃は当たり前だった役割や立場が、少しずつ減っていく中で、「あなたに聞きたい」「あなたに頼りたい」と言われることは、素直に心に沁みる。
正直に言えば、
おじさん、いや、もはやお爺さんの域に近づいてきた身としては、女性から優しくされると、つい何でも言うことを聞いてしまいそうになる。これが男性の性(さが)なのかどうかは分からないが、悪い気はしない。むしろ、力になれることがあるなら、できる範囲で応えたいと思ってしまう。
ただ、それは下心でも見返りでもない。
「必要とされた」という感覚そのものが、心を温めてくれるのだと思う。
仕事で体は疲れる。
年齢とともに、回復にも時間がかかる。
それでも、人とのやり取りの中で、ふと心が軽くなる瞬間がある。その積み重ねが、また次の運行へ向かう力になる。
無事故で一週間を終えられたこと。
体の痛みを労わる時間を持てたこと。
そして、心地よい一通のDMに出会えたこと。
派手な出来事は何もないが、こうした小さな出来事が、今の自分の生活を静かに支えてくれている。
来週もまた、体と相談しながら、無理をせず、無事故で走り切れればそれでいい。


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