今朝は、頭が驚くほど澄んでいて、「よし、今日はクリエーターになる」と、自然に思えました。気合を入れたわけでも、何か特別な出来事があったわけでもありません。ただ、心の奥が静かで、余計なノイズが消えたような感覚でした。
これまで私は、輝いている人たちを見ては、どこか遠い存在のように感じていました。「自分とは違う世界の人たちだ」と、どこかで線を引いていたのだと思います。それでも同時に、「自分も、あちら側に立ってみたい」という思いが、心の奥にずっと残っていました。
年齢のせいなのか、それとも時代の流れなのか。ここ数年、パソコンに触れる時間が増え、考える時間も自然と増えました。若い頃のように勢いだけで動くことは減りましたが、その代わりに「考えながら形にする」ことの面白さを知った気がします。思考を巡らせ、言葉にし、少しずつ形にしていく。その過程そのものが、すでに創造なのだと、今は感じています。
振り返れば、昔はDIYに夢中でした。若かった頃のゆずのために、庭に小屋を作ったことがあります。雨の日でも濡れず、風が強い日でも落ち着いて過ごせる場所をつくってあげたくて、材木を買い、波板を張り、試行錯誤しながら形にしました。完璧ではなかったけれど、あの小屋には確かな“想い”がありました。
家の中も同じです。タバコで汚れた壁、浮いてきたクロス。業者に頼めば早かったかもしれませんが、自分の手で直してみようと思いました。隙間に糊を流し込み、ローラーで押さえ、上からペンキを塗る。時間はかかりましたが、四日間かけてリビングは見違えるように変わりました。新品のように完璧ではないけれど、「自分で整えた空間」には、不思議な愛着が生まれました。
そのとき、強く感じたことがあります。
「人は、お金がなくても、特別な才能がなくても、何かを生み出せる」ということ。
必要なのは、少しの知恵と、ほんの少しの勇気、そして続ける気持ちだけなのだと。
今、こうして文章を書いている時間も、あの頃の感覚とどこか重なります。派手さはなくても、自分の内側から静かに湧き上がるものを、丁寧に形にしていく。その積み重ねが、きっと“自分だけの表現”になるのだと思います。
若い頃のように無理はきかない。でも、その分、今の自分には経験があります。失敗も、遠回りも、無駄ではなかったと、ようやく思えるようになりました。
今日から、私は静かにクリエーターとして歩き始めます。誰かと比べるためではなく、誰かに評価されるためでもなく、自分自身が納得できる時間を重ねるために。
この場所が、その一歩目になれば嬉しいです。



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