2026-01

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迎える幸せ、見守る喜び 〜家族のかたちが変わっても〜

今日は娘夫婦が遊びに来てくれる日。そう思うだけで、朝から心が弾みます。まだ孫はいませんが、夫婦仲良く二人で顔を見せてくれることが、何より嬉しいものですね。以前は、どうすれば喜んでもらえるか、楽しんでもらえるかと、身内が集まるたびにあれこれ気を張っていました。でも今は、特別な準備をしなくても、ただ迎えられるだけで十分だと感じています。それでも「満足してもらいたい」という気持ちは消えず、やはり親心は尽きません。けれど、元気な顔を見られるだけで心が満たされ、娘を支え、仕事に励む旦那さんの姿にも安心を覚えます。みんながそれぞれの場所で幸せに向かって進んでいけたら、それが一番。今年は午年。馬車馬のように力強く、前向きに走り続ける一年にしたいですね。
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時間は静かに過ぎていく。それでも私は、今日も一歩を積み重ねている

お正月の三が日ほど、あっという間に過ぎてしまう時間はありません。素敵な時間ほど、気づけば静かに流れ去っていくものですね。一日一日を大切に過ごしているつもりでも、振り返るともう夜。私はショートスリーパーではないので、決まった時間になると目が自然と疲れ、目を閉じた瞬間に夢の中へ吸い込まれます。眠れずに時間だけが過ぎるより、すっと眠れて朝早く目が覚める今のリズムは、悪くないと感じています。昨年よりもパソコンに向かう時間は確実に増えました。椅子を少し良いものに替えたせいか、不思議と疲れにくい。毎日の投稿や配信を淡々と続けながら、私は今、自分自身に投資しています。やらなければ始まらない。続けているという事実だけは、胸を張って言える。体を使った労働が「1」なら、ネットの世界は「10」や「100」になる可能性がある。今この時代、この環境を使わない理由はありません。遅い、無理だ、という言葉を手放し、できるところから始めてみませんか。私は今、確実にその先へ近づいています。
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静かに始まる、私のクリエーター人生

今朝は、頭が驚くほど澄んでいて、「よし、今日はクリエーターになる」と自然に思えました。これまで、輝いている人たちを見るたびに、どこか遠い存在のように感じながらも、「自分もあちら側に立ってみたい」と心の奥で思い続けてきました。年齢のせいなのか、時代の流れなのか。パソコンに触れるようになり、考える時間が増えたことで、ようやく“形にする”ことを意識し始めたのかもしれません。振り返れば、昔はDIYに夢中でした。若かった頃のゆずのために、小屋を広げ、雨や風を防げる居場所を作ったこと。タバコで汚れた部屋を、自分の手で修復し、壁を塗り替え、四日かけて空間を生まれ変わらせたこと。お金がなくても、知恵と時間があれば、人は何かを生み出せる。あの頃の感覚が、今また静かに蘇っています。
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忙しさの正体は、充実か疲弊か――午年の始まりに考えたこと

元日は、朝のコーヒータイムと、ゆずの散歩から静かに始まりました。慌ただしさとは無縁の時間の中で、「今年は午年。良いスタートが切れたな」と、自然とそんな思いが湧いてきます。今年も日々のやることリストを埋めながら進む毎日になりそうで、立ち止まる暇なんてないだろうな、と正直思います。ただ、それを「忙しい」と捉えるか、「充実している」と捉えるかで、気持ちの向きは大きく変わる気がしています。もちろん、しんどい日はあります。それでも頭の中を整理しながら一つずつ片付けていくと、無駄な時間は減り、前に進んでいる実感が残るものです。とはいえ昨日は例外で、一日テレビとお酒を優先しました。そんな時間も、たまには必要。だからこそ今日はまた、淡々とやるべきことを進めていかないといけません。娘が来る日までに、少しでも整えておかないと、後で自分が慌てるだけ。進められることがあるなら、今できる分だけでも前へ。今年もそんな積み重ねで、一年を形にしていこうと思います。
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淡々と、確かに走る。2026年・午年に込めた私の覚悟

明けましておめでとうございます。2026年、干支は午。走り続ける年――そんな言葉が自然と浮かびます。今年の私は、勢い任せに走るのではなく、「やると決めたことを、淡々と、確実にやり切る」そんな一年にしたいと考えています。馬車馬のように働く、という言葉は少し荒々しく聞こえるかもしれませんが、そこには覚悟と責任、そして未来への意志があります。日々の中で、気持ちが揺れることもあります。結果が出ず不安になる日もあるでしょう。それでも一喜一憂せず、目の前の一歩に集中し続ける。その積み重ねこそが、やがて形になると信じています。今の私を見てくれている皆さんへ。もし立ち止まっているなら、迷っているなら、無理に答えを出さなくてもいい。ただ一歩、今日できることをやってみる。その姿そのものが、次の道を照らします。この一年、私の歩みが、誰かの背中をそっと押せたなら幸いです。